Keds,PRO-Keds:古い古~い広告から(4)

雨風が吹くと僕の家は音楽を奏でた。

96度を超える日が三週間も続いていたから、初めそれは待ちわびた雨音のように

リズミカルに強く耳に響いた。

60マイルも遠く離れた僕の家の屋根を窓をドアを叩くヒラ砂漠からの砂つぶ。

フェニックスの工場に勤める父を忙しく送り出した後

母の手はようやく僕たちの朝食を作り始める。

工場で父はエアコンを組み立てていたのだが、その土地を離れるまでの間

とうとう僕の家には扇風機が一台あるだけだった。

ところどころペイントのはげた黒い扇風機。

今になって僕は、父が限りなく恋しい。

 

愛すべき故郷。《プロケッズ》は永遠のアメリカン・ストーリー・テラーです。

プロケッズのシューズに、必ず愛すべきアメリカのニオイがするのは、プロケッズがアメリカのごくごく普通の人々<コモン・マン>のためのシューズとして生まれ、コモン・マンたちと共に、ついにはあの栄光の60年代を築き上げたシューズだからに他なりません。プロケッズこそ、風俗や流行や生活や、アメリカの日常を最も克明に描写する永遠のアメリカン・ストーリー・テラーです。

Keds,PRO-Keds 古い古~い広告から(2)

「ママはTシャツが嫌いなの?」

ママに直接聞くのは何となく悪い気がしたから、ある時僕はおばあちゃんにこう聞いた。

だって、去年の夏、みんなでマイアミに行った時、

パパが僕たちに買ってくれたとってもカッコいいプリントの入ったTシャツが大好きで

僕も弟のジョーイもいつもそればかり着てたけど

外で遊んで帰って来ると、ママは決まって僕たちをボタン・シャツに着替えさせるから。

「そんなことはあるもんかい」 おばあちゃんはニコニコしながら教えてくれた。

「ママはね、お前たちがちっちゃな手でボタンを掛けたり外したり、

色々やるのを見るのが大好きなんだ。」

「だからスニーカだって、いつもケッズの紐つきだろ!?お前たちを愛してる証拠だよ。」

ベッドから出ると、パジャマのボタンを5つ外しシャツのボタンを5つ掛け、

夜になるとその逆で

僕たちは毎日、最低20個のボタンと戦っている。

——-アメリカの子供の2人にひとりはケッズをはいて育つ——-と言われています。

 

愛すべき故郷。《プロケッズ》は永遠のアメリカン・ストーリー・テラーです。

 

 

Keds PRO-Keds:古い古~い広告から

 

みんなが知らないケッズの功績を話してあげよう。

アメリカ中には、それまで確か19のメーカーがあって

それぞれが、”スニーカ”という無限の可能性を持ったこの新しい商品で何とかひと儲けしようと

他人のやらない色々な工夫を凝らしていたわけさ。

でも、ある時誰かがこう言ったんだ。

「こんな高価な靴を買ってくれる金持ちがアメリカ中にいったい何人いるって言うんだい。

誰でも買えるくらいに安くする方法を考えよう」…と。

19のゴム底シューズ・メーカーの16社が賛同し

こうして生まれたのがケッズ、プロケッズの母胎となった

”ナショナル・インディアンラバー・カンパニー”。

おかげで、それまでベック&スナイダーのカタログに

6ドル50セント(!)で載ってたようなクロケット・サンダルが

1897年のシアーズのカタログでは

60セントで売られるほどに身近になってたってわけ。

あれからもう100年もたつけれど

だからアメリカ人にとってケッズは今も特別なのさ。

誰だって、まるで空気を呼吸するようにケッズをはいている。

日本で売られているよりもっと沢山の中から選んで…。

 

愛すべき故郷。《プロケッズ》は永遠のアメリカン・ストーリー・テラーです。